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記録用

考えたことの集積場

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いい旅ってなんだろう?

今回は「いい旅」について考えたことを、ちょっと記録しようと思います。

 

というのも、本日(24日)こちらのWSでグラフィックレコーディングをお手伝いさせて頂いてきていました。

www.hcdnet.org

5回に分けてサービスデザインの手法を勉強しよう、という講座内容なのですが、ワークを行う中で「旅」に関するデザインを行っています。参加者総勢40名、意欲満ち満ちた社会人の方々のワークを間近で観察させて貰っています。

そんな中、今回は今まで作ったペルソナやシナリオを元に、実際にプロトタイピングから「アクティングアウト」までを行うというワーク内容でした。

8チームそれぞれが考えたアプリケーションサービスを、ユーザーがどのような状況で利用するのか?実際にチームの方々に演じてもらいます。皆さんなかなかの熱演ぶりでした。私はレコーディングが大詰めだった為、作業の片手間に耳を傾けていた状態だったのですけれども。

そこでひとつ、感じたことがありました。

何でも提示してくれる形サービスが多い…!」と。

これが「いい旅」を考えるきっかけです。

 

いろんなユーザー、利用状況の中でありながら、気を回して様々な案を提供し、完璧な旅をサポートしてくれるアプリケーションサービス。人間は選ぶことだけをすれば良い。頭が良くて一見素敵な旅を演出してくれる、頼もしいアプリに見えます。実際、少し前だったら私も考えていたと思います。秘密の穴場、自分好みのお店、ちょっと横道に逸れると佇む…どれも特別感のある素敵な場所です。そんな場所に行ける旅なら是非行ってみたいのだから、提示してくれるならいいのでは?

各チームでどんなプロセスを踏んでプロトタイプとして上がってきたのかはわかりませんが、そんな「頼もしい提示型」という大枠が被るチームが多かったな、と感覚として感じました(否定しているわけではありません…!)。

 

そこで思い出されたのが、8月末〜9月頭にかけて熊本に合宿に行ってきた時のことです。

合宿のワーク内容とは別に、自由に熊本を旅する日として設けられた1日がとても楽しかった体験です。

私はこの自由行動で何をするか?どこにいくのか?等々のプランを全く、本当にひとつも決めていませんでした。わざと調べていないのではなく、単純に調べる手間が面倒であったり、「ここにいきたい」という欲求が薄かったりと、理由はそんなところ。「ブラブラしてればいいかな」と思っていたくらいでした。(しかし普段街をぶらついたりなどしない…。)

すると、何があるのか?どこにあるのか?を調べなさすぎて、困るよりも先に訪れる場所の新鮮味が格段に増したのでした。

大きな商店街(熊本市中央区にある本当に大きなアーケード商店街)のお店のラインナップがまずわかっていません。ついでに方向音痴気味なので、自分の足でひたすら歩いてどこになにがあるのか、を地図を開拓するような感覚で覚えていきます。一つ横道に逸れればこぢんまりとした本屋に入れたり、実は有名ブランドのショップがあったり、飲み屋の通りが続いたり、風俗店(!)が立ち並ぶ道に入ってしまったり…。行く場所を決めないからこそ好きな場所を見つけては入り、もっと面白いところは無いかとそこでようやく現地のお店について調べてみたり、現地の人にお店を聞いてみたり、エトセトラエトセトラ。印象的な体験は尽きません。無計画ゆえに予想外なことしか起こらない旅の体験になったのだ、と今振り返ると思います。

 

少し話は変わりますが、以前UX名古屋のワークショップでとある方の旅の体験をもとに上位下位関係分析法でラダーアップを行い、本質的欲求を出したことがありました。そこで出てきた欲求は、「旅の過程にあるゲーム性を楽しみたい」という欲求。旅費が安くなるポイントを日常的に貯めたり、安い飛行機を利用することで旅の確実性をあえて回避したり、イレギュラーな事態すら楽しめるというスゴい欲求です。

私が今回体験した、自分の足で現地を開拓していく感覚も、何も知らない土地で好きな場所を見つける喜びも、ちょっと足を踏み入れがたい場所にうっかり入ってしまった焦りにも、このゲーム性に近いものがあると思います。

これって、旅のサービスを提供するときによくキーワードとして出てくる「非日常体験」の一つなのではないでしょうか。私はこの「非日常体験」という言葉が語義の曖昧さから使うのが苦手で、どうにかもっと詳しい別の言葉を探しています。そんな中で、この「ゲーム性」(これもこれでちゃんと説明しないと意味が伝わらないですが)という言葉は、「非日常」をもうちょっとわかりやすく言い換えられる言葉だなあと現代っ子でテレビゲーム好きな私としては感じました。

 

苦労すら楽しみに変わる体験って、結構スゴい体験なんじゃ…!?では、これを実際の儲かるサービスに落とし込むとして、どうすればいいんだろう。詳しく考えているわけじゃ無いけれど、「頼もしい提示型」ではダメなことは明白です。

何も知らないから、確実性が薄いからこそ体験できることならば、何でもかんでもサポートしてくれるのでは意味がないからです。

 

ここでHCD-NetのWSに話が戻ります。

浅野先生が今回のWSで仰った、「人がバカになるアプリ」という言葉がじわ〜っと効いてくるのです。「頼もしい提示型」は「人を考えさせないアプリ」です。私は現地で探したり考えたり調べたりすることで、印象的なシーンを重ねていきました。しかし考えさせないということは、「苦労」という経験を削るということではないでしょうか。苦労は記憶の紐付けを強固なものにしてくれる大切な経験でもあります。良い思い出の裏の苦労。これすら楽しめる欲求が「ゲーム性を求める」欲求でした。

つまり何が言いたいかというと、「頼もしい提示型アプリ」は「思い出の薄い旅にさせかねないアプリ」になってしまうのでは…?ということ。「楽しい経験を作るアプリ」なのではなく、「楽をさせるアプリ」になってしまっていたのでは?と。

「楽しい旅の体験」と、「楽しい体験しか無い旅」はイコールではないと思います。理由はツラツラと話してきた上記の通りです。

浅野先生が「どこかで人のサポートを放り出すアプリとかいいよね」と笑いながら仰っていたのは、そういうことではないかな、と気がつきました。「苦労して達成したこと」には「価値」がついてくるのです。アイドルの下積み時代とかを考えるとわかりやすいと思います。Perfumeとか。

ユーザーは旅を通じて「楽をしたい」のか?「楽しかった!」と言いたいのか?「いい旅」と言える旅って、どんな旅なのか?このあたりを突き詰めていくと、「旅の体験をデザインする」ということがどんなものなのか、カタチをもってくるのかなあ、と。

 

ユーザーにとっての良い旅って、どんな経験が自分の中に積み重なってくれる体験なんだろう?

これってきっと、自分の経験が深まらないと理解がとても遠回りになってしまったり、そこまで考えが及ばなかったりするのだと思います。

もっとたくさん自分を育てる経験をして、また旅にいったときに、もう一度考えたいなと思いました。